2011年10月21日

静岡酒、この名役者、この名演技 9.

 しずおか地酒研究会の鈴木真弓さんのWEB酒場静岡吟醸伝に寄稿しています。

 「静岡酒、この名役者、この名演技」の第9章です。

 「私の静岡酒三十年史中期」

 酒屋の酒知らずから一転。

 猛勉強の一環として、酒造りもある程度は知らなければ。
 本から一通り学んだだけの頭でっかちではいけない。
 体でも覚えなければ。

 祖父からお世話になっている君盃酒造さんにお願いし、
酒つくりのスタッフである蔵人として扱ってもらうことになりました。

 酒造責任者である杜氏は小柄な阿部さん。
 阿部さんは標準語をまったく話さず、
何を言っているのかちんぷんかんぷん。

 こちらが理解できず、仕事が後手後手になる場面が多く、
いつも怒られていました。

 1年目はまったく相手にされず、話しかけてくれることもほぼなかったです。
 人間って、役に立たないことが悔しくても涙が出そうになるのですね。

 見よう見真似でコツコツと一つづつ覚えていきました。

 世間話もしないくらい仕事に集中できたおかげで、
朝一番からその日の最後までの段取りがわかりましたから、
声を掛け合わなくとも、誰が何をするのかがわかり、
私は私なりの仕事ができました。

 朝は5時前には蔵元に着き、蔓延する蒸気の中、蒸し米を待ちました。
 麹米の引き込みと掛け米の冷やしが次の作業。
 200度以上あろうかと思う蒸し米を4度にします。

 蒸し米の表面と内面の温度が若干違っていることすら駄目。
 朝一番の冷え込みを利用しながら冷やします。

 蒸し米は今のように機械からの風を利用しませんでした。
 桶に入れて運び、布の上に広げていきます。
 かわいい子供に荒風を当ててはいけないとの心配り。

 何度も混ぜながら、蒸し米の温度を一定に冷やすと時間は7時くらいに。

 杜氏の包丁の音が聞こえてきます。
 トトトトトと空腹の私にも響くわけです。

 この音が聞こえると、朝一番の仕事ももうすぐ終わり。
 君盃酒造の阿部杜氏は朝飯の料理長でもありました。

 私は丸河屋の仕事がありますから、ここで店に戻ります。

 配達を終えて、お昼は洗米作業。
 「おい、若けえの」と一番たくさん運ばせてもらいました。

 私はこの時から米の良し悪しを水を通して覚えるようになりました。
 水の中に入れた方がよくわかるのです。

 洗ってからの米の様子から、その品種が何であるかも大体想像通り。
 こういうことがわかるから、職人はやめれないなって気分も理解できます。

 もろみの様子(味見)や明日の蒸しの準備をしたら、また丸河屋に。

 午前中時間があれば、仕込みをしました。
 櫂入れまでしますと、汗ばむくらい。
 飲料の仕事は重労働で体力勝負です。

 もろみを味見していますと、きき酒能力が上がっているなと実感できます。
 神経質くらいの繊細さで接していますから、
醗酵中のアルコールの老ね具合までわかるようになりました。


 2年目、私は勝負に出ます。

 タンクも勝手に動かして配置。
 田植えや刈り取りなども県外でして米を手配。
 そうなんです。
 できたお酒は全部自分で現金で買い取るから、自分のお酒を造らせて。

 わがままを承知で1本造ろうとはじめました。
 冷却装置も自前。

 酒販店である以上、ここは通らねばいけない壁。
 大失敗でもまだまだ先が長いから。
 若さですねえ。
 私も父も反対しましたが、そんなことはおかまいなしとスタート。

 酒造りは私一人ではできません。
 杜氏にしてみれば、自分の管理下。
 社長にしてみれば、自分の商品。

 私は1.8L換算で300本。
 好きなようにやらせてもらい純米吟醸を完成させました。

 全量買取、丸河屋の冷蔵庫に持ってきました。
 お金は銀行から借りて、月々の支払いにしました。

 1年かかるかどうかの時期に売り切ることができました。


 3年目、気を良くした私は増産します。

 300本から600本への挑戦です。
 酒造りよりも販売がどうかに挑戦は移っていました。

 銀行への支払いは、このお酒だけで毎月20万円。
 販路をかなり広げなければなりませんでした。

 夕方の6時40分くらいの新幹線で関東方面に営業に行き、
11時40分くらい品川発のムーンライトながらで帰ってきます。

 営業はそれなりに動けは成果は出ました。

 ただ、体にはつけが回りました。
 立っている時間が長く、血液が体中には行き渡らない。
 エコノミー症候群でしょうか。
 血液の塊を除去しました。

 ドクターストップで終止符。


 私の造ったお酒は「大器晩成」であります。

 もうすでに1本も残っておりません。

 私の酒人生の中で、とても貴重な体験をさせてもらいました。

 丸河屋は創業以来、君盃がおいてあります。
 丸河屋が存在する限りは永遠においてある銘柄であります。

 お世話をしてくれた阿部杜氏は今は亡き人となりました。
 あの時代の写真を見るたびに、ホロってきそうになります。

 君盃の市川さん、橋本さん、この場を借りて感謝申し上げます。


 次回は第十章「私の静岡酒三十年史後期」を書きます。


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Posted by 丸河屋酒店 at 16:30│Comments(0)講演・講座・執筆
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